完成しました。
テレビ塔と、どこか古さと懐かしさを感じさせるイラスト。
う〜ん、関係者ながら、なかなかいいですなぁー
思えば、一昨年の「西線11条のアリア」もチラシに惹かれて観に行ったんだっけ。
それで結局札幌に移り住んで、さらに制作にまで関わらせてもらうことになったんだから、随分不思議なもんだ。
やっぱりチラシの力は大きいな。
何も知らない人からすれば、チラシこそがその劇団の“顔”なわけで。
まぁ、チラシに変わる新たな媒体が誕生すれば話は別だろうけども。
3月の公演に向けてもうある程度動き出しているわけだが、こうしてチラシが出来上がってくると、再び気が引き締まるというもの。
さぁ、やるぞー
あ、この「虹と雪のバラード」の公演情報を
fringeのオンラインチケット実例紹介で取り上げていただきました。
小劇場用予約フォーム、ホントにすごいんです。
途中の枚数変更は勿論のこと、自動で売り止めまでやってくれる。
sendmail機能を使って情報を送るだけのフォームに比べ、やれることが大幅に増えている。
これはインターネット上の窓口というよりは、プレイガイドに委託するような感覚だね。
低コストで、かつ確実にネットでの予約を行いたい場合、このツールは非常に便利ですよ。
オリバー・ツイスト
朝起きて、以前借りてた「オリバー・ツイスト」を観る。
ディケンズ作品は久しぶりだ。
ロマン・ポランスキー監督作品も久しぶりだ。
う〜ん、なんかポランスキー監督の淡々とした描き方が、原作のプロットの強さを消してしまっているような・・・
逆にキャラクターたちはみんな魅力的なのだけれども。
寓話に対して強烈なリアリティーを与えてしまったような、そんな印象。
そんなちぐはぐな感はあるものの、全体としてはかなり素敵な作品。
歩き姿やカメラワークでそのキャラクターの人生が垣間見えるというのはなかなかに感動的なことだね。
ダイナミックな展開とかなくてもさ、そういう感動もあるじゃん。
観た後、なんかほっとした。
イラクからやってきた劇団が劇場入りする。
政局不安定にも関わらずイラクからはるばるやってきて、日本国内3ヶ所を回って歩くのだから、その意気込みたるや並々ならぬものがあるのだろう。
今回俺は受付周りの準備や手伝いをする程度だけれども、やはり全く言葉の通じない人たちと出会い、そして関わるというのはドキドキするものだ。
ちなみに、集団の方向性としてはかなり特殊なものらしく、“言葉を用いない演劇”なるものを行うらしい。
言葉の壁を越えた先に私たちは何を見出すのだろうか。
そして、真冬日続きのこの札幌に、イラクのみなさんは何を見出すのか。
札幌一年生の俺は、その中に軽い恐怖を見出してしまった。「雪国育ちだから大丈夫!」と思ってたのに。
彼らも来日早々雪をおみまいされて・・・いろんな意味で彼らの無事を祈るばかりだ。
a☆nikita「DAILY」@しばい小屋SUWA!!
2007年の観劇初め。
最近では若手の育成にも非常に力を注いでいる
劇団SKグループ。このa☆nikitaはそこの主宰であるすがの公さんが定期的に行っている「すがの塾」というワークショップの2期生によるユニットとのこと。
地方に於いて(別に地方に限ったことではないけれど)若手の育成は重要課題。地方は首都圏に比べ演劇人口が少ないのだから、より人の“質”が重要になってくる。そういう意味でも、こういったユニットが成立するのは良い傾向なのかもしれない。
さて、芝居の中身はと言うと・・・
【簡単なあらすじ】
学生時代共に演劇をやっていた姉妹がちょっとしたことで仲違いし、姉はそのまま芝居の道へ、妹は就職して社会人へとなる。そして数年経ったいま、2人の不仲は限界(?)に達していた。そこへ自らを“天使”と名乗る女が現れ、「あなたのお悩み解決します」という・・・
感想としては、大変失礼だけれども、発表会の粋を出ないなぁという印象。
俳優の力量といったものは一朝一夕に上達するものでなし、そこをとやかく言うのは野暮というものだ。
しかし、せめて戯曲の段階でもっと頑張ってほしかった。
俺は判りやすいのは嫌いではないが、さすがに先が読める上に観客が想像する余地がないのでは、見てる方はかなり窮屈だ。
“王道”と“先が読める”こととは違うはず、同じ内容でも描き方次第で大きく変わったはずだ。
戯曲が面白ければ俳優の力量不足はなんとかなるもの。むしろこういう若手の旗揚げだからこそ、戯曲にはこだわってほしかった。
けれども、公演としては十分に意義のあるものだったと思う。
若手育成の結果として、こうして主体性を持った人材が出て来ている証なのだから。
出来るならば今後とも粋長く活動していってほしい。そして、面白くなっていってほしい。
若造のクセに、そんなことを考えてみた成人の日でした。
あぁ、20の奴らが羨ましいぃ・・・なんか23の俺が年老いて見えるじゃねぇか。
個人的東日本&北海道ツアー 2006 to 2007
これだけ東京の芝居のレビューを書いた後でいうのもアレですが、去年の年末から今月3日にかけて個人的に東日本&北海道(ほぼ全部各駅停車の)ツアーに行ってきました。
そのツアーの模様を駆け足ではありますが、各地の写真と共にお伝えします。
どうぞ。
・東京編
22日:AIR DOにて東京へ
東京へ。
ただいま本州上空。
まさにティンブクトゥ。
渋谷から恵比寿への道すがら。
学生時代にバイトやら何やらで幾度も通った道。
歩いてて汗かくくらいの暑さにたじろぐ。
朝まで氷点下の世界にいたのがウソのよう。
久方ぶりに戻ってきた私を東京ハチ公が迎えてくれた。
相変わらずこのあたりは混沌としている。
あまり好きな場所じゃなかったけれども、久々に来てみると結構面白い。
23日〜27日:ひたすら観劇&友人・恩人たちとの再会の日々。
レビューに関しては過去にアップした通り。
戦績としては、22夜見た芝居も含めて6日間で7本。
学生時代の観劇ペースだ。札幌ではどれだけ頑張っても週1〜2本が限界だし。
また、いろいろな人々との再会があった。
これらの再会は過去を振り返るのではなく、これから先へと繋がっていくものだったように思う。とても多くの刺激を受けた。
渋谷の片隅で。
渋谷がこんなに温かい人情味のある場所だったなんて、東京に4年間住んでて全く気づかなかった。
いつかまた東京に住む機会があれば、いくらオンボロでも構わないから渋谷に住もう。
芝居が始まるまでの暇つぶしに新国立劇場の図書館へ。
学生時代、理系学生だというのになぜか新国立劇場の図書館へ通い詰めていた。
もう一度あの場所へ行きたくなって、歩いて新宿から初台まで。ホントはあの屋上庭園からの眺めを撮りたかったのだが、運悪く電池が切れてしまい断念。
以下の2枚はその道すがら撮ったもの。
こんな狭い路地は札幌ではなかなかお目にかかれない。
猥雑だけれどどこか温かい、そんな風情がある。
札幌に住んでいるとこういう温もりがたまらなく恋しくなるものだ。
27日深夜から、ムーンライトえちごに乗って秋田への帰路へと着く。
去年(この時期はまだ06年なので05年のこと)はシュウカツ&観劇の目的で同じコースを旅した。
そのときは青森県立美術館の柿落としだったな〜
なんだかんだで目的の中に“観劇”が入ってるのは変わらない。
ハチ公 in 秋田。
あまり知られていないが、実はハチ公像は2匹いる。物語の舞台である渋谷と生まれ故郷の大館。
高校が大館にあったため、自分にとってはやはりなじみ深い場所。
秋田に戻った私を迎えてくれたのは2匹目のハチ公だった。
31日、大晦日。
岩手に住む友人を尋ねて盛岡へ。
ちなみに私は賢治・啄木好きで、そのうえ浅田次郎の「壬生義士伝」に号泣したほどの人間。文学的な興味に心躍らせつつ盛岡へ向かう。
写真は岩手山。
「壬生義士伝」での吉村貫一郎の台詞が頭をよぎる。確かにあの文句に違わぬ美しさ。
盛岡では不来方城跡や啄木新婚当時の家などを見て回る。
ついでに各公共ホールを回って盛岡の演劇状況を確かめようと思い立ち、いろいろと歩き回る・・・が、そこは大晦日。ほとんどが閉まっていた。
それでも地理的な状況や公演のチラシ・演劇のフリーペーパーなど、幾つか収穫は得られた。意外に(というと失礼かもしれないが)盛岡は演劇が盛んなようだ。
今度は大晦日以外の日に来るとしよう。
盛岡から戻って4時間後、年が明ける。
ツアー完遂が至上命題になっている私にとっては、年の変わり目も例年ほど劇的なものには感じられず。
1・2日:実家にてひたすら料理と散歩の日々。
普段一人暮らしで制約が多いが、実家に帰ると食材や調理器具に事欠かないためついつい料理をしてしまう。
今回はくりきんとんにも挑戦し、少し自信をつける。
散歩中に撮った写真を3点ほど。
近所の畑。同じ雪景色でも、北海道と秋田ではかなり雰囲気が違う。北海道は見た目にもドライで厳しいイメージだが、秋田はどちらかというとしっとりめ。
藤沢周平の小説に出てきそうな風景。ま、山形も秋田も同じ東北日本海側だから似ていて当然だけれども。
小学生時代に毎日通った道。
こうして普通とは違ったアングルで見るとまた違った印象。
あの頃、ガンダムのことで頭が一杯だった。“ガンダム”が“演劇”に変わっただけで、今でもオツムの構造は変わってないようだ。
ふと見上げると、月。
3日:札幌へ。
秋田〜札幌間、当初は函館で1泊し2日間の予定だったのだが、よくよく調べてみると1日でたどり着けることが判明。
総計15時間に渡る各駅停車の旅・・・ほとんど罰ゲーム状態。
乗り換え時間も非常に少なく、旅情あふるる旅とは言い難い内容。
弘前にて最初の下車。
気付け代わりに駅構内のドトールで熱いカプチーノを飲む。熱を風味が、眠いうえに冷えきった身体に染み渡る。
その後、駅周辺を散策。
城下町独特の風情が心地よい。
弘前劇場はこういう環境の中で育ってきたんだなぁ〜
もしかすると、演劇というのは我々が思う以上に、その土地や環境といったものに規定されているのかもしれない。
ならば札幌の環境が形作るドラマツルギーとはどんなものだろう・・・残念ながら今だそれは不透明なままだ。
ここ札幌から独自のドラマツルギーが生まれるのはいつの日か。
できるならばそれを見届けたい。
蟹田にて特急に乗り換え。
青春18きっぷでは蟹田〜木古内(要するに青函トンネルの端から端)に限り特急自由席が使用出来る、というか使用しないと北海道に渡れない。
風の町、蟹田。
太宰治「津軽」で、太宰はここで友人と会い、過剰なまでのもてなしに辟易する。
残念ながら私にはもてなしなどない。
せめて降りるくらいの時間くらいは欲しかった。
蟹田は何度か通ったことがあるのだが、毎回通るたびに、まるで時間が止まったような感覚に襲われる。
いつかこの町をゆっくり、まさに“時間を忘れて”歩いてみたいものだ。
海を越え、函館。
幼い頃に何度も来たはずなのだが、具体的な記憶はあまりない。
同じ北海道でも札幌とは違い、ゆったりとした時間が流れている。
古さとスタイリッシュさが混じった、独特の空気があるような・・・長い長い歴史を感じる。
基本的に“新しい”土地である北海道において、“日本”として最も長い歴史を持つ街、函館(すみません、ここだけ大和民族目線です)。
風景の1つ1つに歴史が刻まれているかのようだ。
長万部へ。
函館から長万部まではワンマンカー。
ローカルな雰囲気と北海道の過酷な(といっても、今年はかなりゆる〜いらしいが)環境が妙にマッチしている。
内浦湾沿いに進んで行くため、山道の途中で水平線が突然目に飛び込んでくることがある。
写真はその瞬間の車窓からの風景。
約12日間に及ぶ東日本&北海道ツアー。
それぞれの地ごとに異なる目的があったのだけれど、目的以外にも多くのものを得られた旅だった。
・・・・・・もちろん、そのために財布の中身がほぼ全て失われたのはいうまでもない。
・・・・・・・・・・・いやぁ、チケット代7本分はけっこうきつかったね。
あけましておめでとうございます
新年、あけましておめでとうございます。
今年は年男。
猪のごとく猪突猛進・・・しつつも、着実に一歩一歩進んでいくつもりです。
このブログも三日坊主にならぬよう続けていく所存ですので、どうぞよろしく。
バズノーツ「バスノーツのマクベスPPR」@こまばアゴラ劇場
東京観劇の旅最後の1作。
これが終わったら夜行列車で実家秋田への各駅停車の旅の始まり。
バズノーツ改名後初(昔の名前は「劇団天使エンジン」)の公演。といっても、自分が東京に来たときには既に活動休止状態にあったわけだから、特に観たことがあるとかそういうわけではない。
チラシをみると出演者23名ということで、アゴラのような劇場での公演としては前代未聞な規模に驚かされていたのだが、劇場に入ってさらにびっくり。なぜか出演者が4人にまで減っている。そしてパンフの中には“お詫びとお知らせ”なる紙が一枚。
それには“数名の俳優が体調不良のため、どうしても出演することができなくなってしまいました。”というアナウンス。
23−4=19
19人が体調不良!?
・・・ノロウイルス?
・・・何かの新しい演出?
・・・え、何?
※以下、ネタバレ(なのかどうかもわからない)表現が含まれます※
前説で主宰の増田理氏によるお詫びとアナウンスあり。出演者が大幅に減ったことに体するお詫びと、足りない部分は自分が代役をするというアナウンス。そして焦ったためかお客さんに配っていた飴を落とすというアクシデント。
私としては内心「おいおい大丈夫か・・・」という不安を抱えつつ開演。
この不安が、後に自分を恐ろしくうろたえさせることになる・・・
芝居のスタイルとしてはチェルフィッチュのように、テキストを複数の俳優によって役が次々交換されつつ発話されていくというもの。
テキストはシェイクスピアのマクベスをベースにしているが、時折口語でのやり取りに変わったり。
シェイクスピアを口語でやると、そのやり取りが如何に滑稽なものかが浮き彫りになる。普段は詩的な言葉にまぎれているが、マクベスのやっていることを現代風に訳すと意外に滑稽な行動が多い。
変化が訪れたのはマクベスが王になり、演説をするシーン。演説の台詞が次第に前説のときの増田氏の台詞と重なっていく! そして前説と同様焦って飴を落とす! ・・・・・アレ全部演出だったのか!?
ということは、俳優が体調不良で倒れたってのも演出?
一体どこからどこまでが意図されてるの?
そして“PPR”って何!?
ところどころ初日故の手際の悪さもあったのだが、ひょっとしたらそれも演出の1つじゃないかと疑ってしまい、完全に混乱に陥る俺。
手際の悪いようなトチリをやらかしたと思いきや、それと同じシーンを俳優を入れ替えて再現する。
もはやどこからどこまでが真実なのかわからない。
芝居は虚構。それはわかっている。だけれどもこれほどまでに複雑な虚構を作り上げられると・・・・・・狐につままれた気分というのはこんな気持ちか。
NODA・MAP「ロープ」@シアターコクーン
今回の旅の1番の目的だったこの作品。
頑張ってチケット手に入れた。
最終日に間に合ってホントよかった〜
【あらすじ】
ところは、四角いジャングル、プロレスリング。
そのリングの下に棲みついている女。
彼女は、未来からやってきたと信じている。そして、不可解なほどに実況中継が上手かった。
リングの上には、「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめている独りのレスラーがいる。
思いつめたあまり、引きこもっている。その二人の出会いが、物語のはじまり。
やがて彼女は、戦う人間たちの「力」を実況し始める。
その一方で、引きこもりのレスラーは、
「力とは人間を死体に変えることのできる能力だ」という信念にとりつかれていく。
そして、物語は遠い遠い未来へと向かっていく。
だのに、この話は、決してサイエンスフィクションではありません。
未来の話なのにSFではない物語。 (NODA・MAP公式HPより)
世界のメタファーとしてのリング。
リングの上に、人間の愚かさの歴史が集約されている。
今までのような言葉遊びは姿を消し、強い憤りや怒りといったものがリングの周りで展開される。
そんな印象を受けた。
リングに立つ者、試合を企画する者、それを観る者、実況する者、プロレスをめぐるさまざまな人たちの思惑が“戦い=暴力”の物語へと発展していく。
一見して今まで比べ圧倒的に地味な芝居なのだが、そこから次第に浮かび上がる思念の激しさは今までとは比べものにならないほど。
次々とタブーに踏み込み、自分たちもその中に含まれることを自覚しつつ糾弾する。この芝居を行うことはまさにそんな行為に他ならない。
こういったメッセージ性を盛り込むことについては賛否両論あるだろうし、私も懐疑的な立場ではあるのだが、これだけのものを見せられると「アリかな〜」なんて思ったりする。まぁ、演劇だってメディアの1つなわけだし、そこでジャーナリズムを語るのも、テレビで偽善の中に自己陶酔しているコメンテーターの話を聞くよりかは有効だと思える。
最後のシーン、今までの野田芝居では観たことのないほど静かに、そして淡々とした様にあっけにとられてしまった。だが、そこがまた人間への愛情のようなものが垣間見え、とても心に残った。
いるかHotel「月と牛の耳」
先日の「俺の屍〜」同様、「王子トリビュート001 畑澤聖悟」としての公演。
いるかHotelは神戸の劇団らしく、当然ながら初めて見る。
畑澤作品がどう料理されていくのか、それがこの企画の醍醐味なのだろうが、それ以前に関西の劇団は珍しいという事情もあり、この劇団がどんな劇団なのかという点についても興味津々。
【あらすじ】
東北の地方都市にある精神病院。入居者のひとり、加賀谷敏(51)。「鳳凰院赤心拳」館長を務める格闘家である。彼は7年前、日本で猛威を震った「プリオンウイルス脳炎」に感染して入院。快方に向かうも入院中に脳出血に見舞われ、その後遺症により順行性健忘症となった。知能はそのまま、障害を受ける以前の記憶もそのままだが、新しい物事を記憶することが全く出来ない。「ホーム」の職員たちは、彼の前では毎日が7年前、即ち1994年の4月25日であるかのように振る舞っている。その日は、加賀谷の長女が婚約者を連れて父を見舞いに来る筈の日なのだった……。(渡辺源四郎商店HPより)
オリジナルを上演した弘前劇場が生得的な言語(この場合は津軽弁)で発話されていたのと同様、全篇神戸弁によって話される。
言葉が変わるだけでかくも変わってしまうものかと、驚くことしきり。
人間は話す言葉に規定される部分が多いんだねぇ〜
確かに自分も標準語と秋田弁で話すのとで随分イメージが違うらしいし・・・言葉は思考にも影響を与える、か。
また全体の雰囲気として、ヒロゲキや渡辺源四郎商店のような抑えた感はなく、いわゆる小劇場的なノリ。
クライマックスでは音響や色入りの照明等も入り、全体的にオーソドックスな印象。
といっても、平凡な作品かというとそれほどの印象はなく、非常に良質な作品。
最後の方の、加賀谷の長女の婚約者である服部(加藤巨樹)の「勝ちてぇな〜(とかなんとか、はっきり覚えてないけど)」という、義父への思いを吐露する場面では、何かわからないけれど熱いモノがこみ上げてきてどうしようもなかった。
多分少年時代をジャンプとか読んで育った俺ら世代には、この感覚はすごくわかるような・・・そういう問題でもないか。
照明や音響もきれいにハマっており、この戯曲の別の一面が垣間見えたような気がする。
アフタートークでは「俺の屍〜」演出の黒澤世莉さん、今回の「月と牛〜」演出の谷省吾さん、そして畑澤聖悟さんの3人による対談。
すんごく個性的な3人というだけあって、話題は戯曲から逸れつつ漫才みたいな世界へ。
なぜかブルース・リーについて長く語り合ったり、対談の大半がボケとツッコミだったりと、いろんな意味ですごい対談。
この戯曲の由来を聞かれて、それに対して畑澤さんが答えるやりとりがあったのだが、「この戯曲は世代交代の話で、古代中国に於いては集団の長が生贄の牛の首を(耳を掴んで)動かすことで長の座を次の世代に譲るという風習があった。それが今の“牛耳る”の語源になっているのだけれども、そこからこの戯曲のタイトルになった」というようなことをおっしゃっていた。
う〜ん、深い!