水曜日, 12月 27, 2006

マクベス万歳!・・・とは素直に言えない

バズノーツ「バスノーツのマクベスPPR」@こまばアゴラ劇場

東京観劇の旅最後の1作。
これが終わったら夜行列車で実家秋田への各駅停車の旅の始まり。

バズノーツ改名後初(昔の名前は「劇団天使エンジン」)の公演。といっても、自分が東京に来たときには既に活動休止状態にあったわけだから、特に観たことがあるとかそういうわけではない。

チラシをみると出演者23名ということで、アゴラのような劇場での公演としては前代未聞な規模に驚かされていたのだが、劇場に入ってさらにびっくり。なぜか出演者が4人にまで減っている。そしてパンフの中には“お詫びとお知らせ”なる紙が一枚。
それには“数名の俳優が体調不良のため、どうしても出演することができなくなってしまいました。”というアナウンス。

23−4=19

19人が体調不良!?
・・・ノロウイルス?
・・・何かの新しい演出?
・・・え、何?

※以下、ネタバレ(なのかどうかもわからない)表現が含まれます※

前説で主宰の増田理氏によるお詫びとアナウンスあり。出演者が大幅に減ったことに体するお詫びと、足りない部分は自分が代役をするというアナウンス。そして焦ったためかお客さんに配っていた飴を落とすというアクシデント。
私としては内心「おいおい大丈夫か・・・」という不安を抱えつつ開演。

この不安が、後に自分を恐ろしくうろたえさせることになる・・・

芝居のスタイルとしてはチェルフィッチュのように、テキストを複数の俳優によって役が次々交換されつつ発話されていくというもの。
テキストはシェイクスピアのマクベスをベースにしているが、時折口語でのやり取りに変わったり。
シェイクスピアを口語でやると、そのやり取りが如何に滑稽なものかが浮き彫りになる。普段は詩的な言葉にまぎれているが、マクベスのやっていることを現代風に訳すと意外に滑稽な行動が多い。

変化が訪れたのはマクベスが王になり、演説をするシーン。演説の台詞が次第に前説のときの増田氏の台詞と重なっていく! そして前説と同様焦って飴を落とす! ・・・・・アレ全部演出だったのか!?
ということは、俳優が体調不良で倒れたってのも演出?
一体どこからどこまでが意図されてるの?
そして“PPR”って何!?

ところどころ初日故の手際の悪さもあったのだが、ひょっとしたらそれも演出の1つじゃないかと疑ってしまい、完全に混乱に陥る俺。
手際の悪いようなトチリをやらかしたと思いきや、それと同じシーンを俳優を入れ替えて再現する。
もはやどこからどこまでが真実なのかわからない。
芝居は虚構。それはわかっている。だけれどもこれほどまでに複雑な虚構を作り上げられると・・・・・・狐につままれた気分というのはこんな気持ちか。

も、もうだめ・・・ロープ、ロープ!


NODA・MAP「ロープ」@シアターコクーン

今回の旅の1番の目的だったこの作品。
頑張ってチケット手に入れた。
最終日に間に合ってホントよかった〜

【あらすじ】
ところは、四角いジャングル、プロレスリング。
そのリングの下に棲みついている女。
彼女は、未来からやってきたと信じている。そして、不可解なほどに実況中継が上手かった。
リングの上には、「プロレスは決して八百長ではない」と思いつめている独りのレスラーがいる。
思いつめたあまり、引きこもっている。その二人の出会いが、物語のはじまり。
やがて彼女は、戦う人間たちの「力」を実況し始める。
その一方で、引きこもりのレスラーは、
「力とは人間を死体に変えることのできる能力だ」という信念にとりつかれていく。
そして、物語は遠い遠い未来へと向かっていく。
だのに、この話は、決してサイエンスフィクションではありません。
未来の話なのにSFではない物語。 (NODA・MAP公式HPより)


世界のメタファーとしてのリング。
リングの上に、人間の愚かさの歴史が集約されている。
今までのような言葉遊びは姿を消し、強い憤りや怒りといったものがリングの周りで展開される。
そんな印象を受けた。

リングに立つ者、試合を企画する者、それを観る者、実況する者、プロレスをめぐるさまざまな人たちの思惑が“戦い=暴力”の物語へと発展していく。
一見して今まで比べ圧倒的に地味な芝居なのだが、そこから次第に浮かび上がる思念の激しさは今までとは比べものにならないほど。
次々とタブーに踏み込み、自分たちもその中に含まれることを自覚しつつ糾弾する。この芝居を行うことはまさにそんな行為に他ならない。
こういったメッセージ性を盛り込むことについては賛否両論あるだろうし、私も懐疑的な立場ではあるのだが、これだけのものを見せられると「アリかな〜」なんて思ったりする。まぁ、演劇だってメディアの1つなわけだし、そこでジャーナリズムを語るのも、テレビで偽善の中に自己陶酔しているコメンテーターの話を聞くよりかは有効だと思える。

最後のシーン、今までの野田芝居では観たことのないほど静かに、そして淡々とした様にあっけにとられてしまった。だが、そこがまた人間への愛情のようなものが垣間見え、とても心に残った。

火曜日, 12月 26, 2006

“牛耳る”の語源を知った23の夜


いるかHotel「月と牛の耳」

先日の「俺の屍〜」同様、「王子トリビュート001 畑澤聖悟」としての公演。
いるかHotelは神戸の劇団らしく、当然ながら初めて見る。
畑澤作品がどう料理されていくのか、それがこの企画の醍醐味なのだろうが、それ以前に関西の劇団は珍しいという事情もあり、この劇団がどんな劇団なのかという点についても興味津々。

【あらすじ】
東北の地方都市にある精神病院。入居者のひとり、加賀谷敏(51)。「鳳凰院赤心拳」館長を務める格闘家である。彼は7年前、日本で猛威を震った「プリオンウイルス脳炎」に感染して入院。快方に向かうも入院中に脳出血に見舞われ、その後遺症により順行性健忘症となった。知能はそのまま、障害を受ける以前の記憶もそのままだが、新しい物事を記憶することが全く出来ない。「ホーム」の職員たちは、彼の前では毎日が7年前、即ち1994年の4月25日であるかのように振る舞っている。その日は、加賀谷の長女が婚約者を連れて父を見舞いに来る筈の日なのだった……。(渡辺源四郎商店HPより)

オリジナルを上演した弘前劇場が生得的な言語(この場合は津軽弁)で発話されていたのと同様、全篇神戸弁によって話される。
言葉が変わるだけでかくも変わってしまうものかと、驚くことしきり。
人間は話す言葉に規定される部分が多いんだねぇ〜
確かに自分も標準語と秋田弁で話すのとで随分イメージが違うらしいし・・・言葉は思考にも影響を与える、か。

また全体の雰囲気として、ヒロゲキや渡辺源四郎商店のような抑えた感はなく、いわゆる小劇場的なノリ。
クライマックスでは音響や色入りの照明等も入り、全体的にオーソドックスな印象。

といっても、平凡な作品かというとそれほどの印象はなく、非常に良質な作品。
最後の方の、加賀谷の長女の婚約者である服部(加藤巨樹)の「勝ちてぇな〜(とかなんとか、はっきり覚えてないけど)」という、義父への思いを吐露する場面では、何かわからないけれど熱いモノがこみ上げてきてどうしようもなかった。
多分少年時代をジャンプとか読んで育った俺ら世代には、この感覚はすごくわかるような・・・そういう問題でもないか。

照明や音響もきれいにハマっており、この戯曲の別の一面が垣間見えたような気がする。

アフタートークでは「俺の屍〜」演出の黒澤世莉さん、今回の「月と牛〜」演出の谷省吾さん、そして畑澤聖悟さんの3人による対談。
すんごく個性的な3人というだけあって、話題は戯曲から逸れつつ漫才みたいな世界へ。
なぜかブルース・リーについて長く語り合ったり、対談の大半がボケとツッコミだったりと、いろんな意味ですごい対談。
この戯曲の由来を聞かれて、それに対して畑澤さんが答えるやりとりがあったのだが、「この戯曲は世代交代の話で、古代中国に於いては集団の長が生贄の牛の首を(耳を掴んで)動かすことで長の座を次の世代に譲るという風習があった。それが今の“牛耳る”の語源になっているのだけれども、そこからこの戯曲のタイトルになった」というようなことをおっしゃっていた。
う〜ん、深い!

月曜日, 12月 25, 2006

HappyHuntingGround「愛しのメディア」





H.H.Gは文学座の有志によるユニット・・・らしい。
私は初観劇ということで前知識もほとんどなく、文学座の方々のユニットということ以外は全く知らずに観る。
今回は「冬のサボテン」と「愛しのメディア」の2本立て公演とのこと。スケジュールの都合上、俺が観たのは「愛しのメディア」のみ。
H.H.G初見なら鄭義信作品も初見。
普段からいろいろな評判を聞く集団や劇作家の方々なために、嫌が応にも期待は高まるというもの。

イオルコスを目指すマラソンランナーの男とそれを助ける弟。そして男を見守る、4人の「メディア」と名付けられた女たち。
彼らの葛藤や苦悩が詩的な台詞と共に立ち上がってくる・・・

ぶっちゃけていうと、俺の好みじゃあない。
そんなことを言ってしまうと身もふたもないのだが、俺の個人的な志向として、何かを俳優が戯曲を舞台に立ち上げていく際に、台詞にない部分を何かで埋めようとする作為が見えると一気にドン引きしてしまうのだ。
俳優のみなさん確かに魅力的で芸達者なのだけれども、俺にはどうしても“演技”というウソを巧く取り繕って固めてしまっている部分があるように見受けられた。
綺麗に見せるという意識が強いからこそなのかも知れないが、どうしても嘘くさく感じてしまうのだ。

詩的な台詞が生々しい肉体と共に立ち上がってくるというのなら魅力的に感じられたのかもしれないが、詩的な台詞を一生懸命綺麗に見せようとしているように感じられ、あんまり魅力的には思えなかった。
ひょっとすると、前日に「俺の屍〜」のようなプロットがかっちり組み立てられた作品を観ていたせいかもしれないが・・・

しっかし・・・サイスタジオはいい小屋だ。比較的自由そうな空間にカフェまで付いているなんて、贅沢にもほどがある。
金があったらゆっくりお茶でもしながら帰ったのもを・・・

日曜日, 12月 24, 2006

聖なる夜、俺の屍を越えていけ


王子小劇場プロデュース「俺の屍を越えていけ」


「俺の屍〜」もついに3度目の観劇。
自分の中では日本戯曲の名作みたいな作品になりつつある。
最初に観たのは渡辺源四郎商店の旗揚げ公演。2度目はその旗揚げ公演と並行して行われた青年団自主企画にて。初演の頃はまだ演劇の“え”の字も知らなかったので、まぁこんなもん。
前2作は、どちらも集団の方法論として(いわゆる)劇的な要素を極力排除し抑えた演技というのが特徴で、淡々とした会話のやり取りから浮き上がってくる日常の機微というのが魅力的だった。
一方今回の王子小劇場プロデュースはというと、特に抑えたという印象はなく、かといって過剰でもなく、若い俳優陣から滲み出る“鋭さ”や“熱さ”が、芝居をダイナミックな会話劇へと変化させていたように感じた。
キャストも若手で最近注目されている小劇場系劇団の人たちばかり。しかも普段は全く違うスタイルの芝居をやっている人も多いようで(全部の劇団を観たことはないけども)、まさにキャストのちゃんこ鍋状態。
しかし、バラバラという印象はそれほどなく、1つのちゃんこ鍋として美味〜く仕上がっていた。
やはりこれも戯曲の力だろうか。
シンプルだけれども力強いプロット。山田洋次作品のような暖かみ。全ての畑澤聖悟さんの作品には、登場人物一人一人への愛情がとても感じられる。

先日友人にも言われたことだが、やはり作家の存在は非常に大きい。
この作品は数十年後も古典作品として愛され続ける作品じゃなかろうか。
そんな作品を書ける存在が今の我々には不可欠なのかもしれない。

ちなみに今回の公演は「王子トリビュート001 畑澤聖悟」の一環で3作品の内の1作目。ここまできたら2作目も観ないわけにはいかない。
次回はいるかHotelによる「月と牛の耳」。
なぜか東京に来て青森の劇作家を堪能して帰ることになりそうだ。

土曜日, 12月 23, 2006

黒テント「メザスヒカリノサキニアルモノ若しくはパラダイス」@Theatre iwato





何気に初黒テント。
松本大洋ファンということで、鉄コン筋クリートも公開したことだしということで、ミーハーではあるが観に行ってしまった。
学生時代に戯曲の形では読んでいたのだが、 読んだときの印象としては、果たして演劇というメディアがあの松本大洋の独自の世界観を引き受けられるのかどうか、不思議でならなかった。
実際に観た感じとして・・・案の定、やっぱり難しいみたいだ。
松本大洋の魅力は、深くて混沌とした精神世界をバックグラウンドに、それを納得させてしまうだけの圧倒的な画力で以て、読む者を引き込んでしまうところだと私は思う。
では、彼の世界観を舞台という媒体でやる場合、彼の世界観を成立させ得る要素、漫画でいえば画力に値するものが必要不可欠となる。
そこが、少し足りなかった。
あの圧倒的な画力に匹敵するだけの力が持てなければ、ただのシュールな芝居になってしまう。
そういった個人的なモヤモヤはあったものの、藤山(さとうこうじ)の居方には感動。松本大洋作品に必ず1人は登場する、意味不明だけれども不思議と強烈な存在感を放つキャラクター(今回でいえば藤山)を、作品の世界観を引き受けつつも個性が埋没することなく、魅力的な人物に作り上げていた。

ただやはり・・・松本大洋作品を演劇でやる意味という点ではよくわからないなぁ〜

金曜日, 12月 22, 2006

グリング「虹」@紀伊國屋ホール





グリング一年ぶりの本公演。
そして私も約1年ぶりの東京での観劇。
当時1年間の活動休止を聞いたとき、次回公演はおそらく見られまいと諦めていたのに、まさか再びこの目で見ることが出来ようとは・・・ホント、人生何がどうなるかなんてわからんもんだ。

田舎町の教会を舞台に、市井の人々の生活と、病・人間関係・過去など生活の根底に流れるさまざまな不安、そういったものが丁寧に紡ぎ出され、いい知れぬ感動を呼び起こす。
ウェルメイドの一言で片付けてしまうのは容易いが、この作品はそんな言葉で片付けてしまうのが惜しいと思わせるほど“ウェルメイドの中のウェルメイド”なのだ。
前回の「海賊」が徹底的に人々のリアルによって紡ぎ出されていったのに比べ、今回は少し自由に、より形に捕らわれず、ドラマとして上質なものを目指していったように思う。

クライマックスの、聖美(荻原利映)と夫の広志(杉山文雄)のシーンで、聖美が広志に水を持って行こうとした瞬間。不意に涙が込み上げてきてどうしようもなくなった。
何気ない行為で、特に感動的な言葉があるわけでもない。けれどもその瞬間、彼らが共に過ごしてきた長い年月が突然私の中に生まれた気がしたのだ。そう感じたときには、もう涙が出てしまっていた。
エイズと共に生きることを余儀なくされた広志と、それでも強く生きていこうと励ます聖美。かれらが長い年月をかけて作り上げてきた絆が、“水を汲む”という些細な行為の1つに凝縮されているような気さえした。

前回の「海賊」を見た時にも感じたことだったのだが、グリングの舞台を見ていると、生きとし生けるものへの慈しみのようなものが感じられ、見た後に生きていることがとても素晴らしいことのように感じられてくる。
本当に魅力的な舞台だった。

次回公演は来年2007年6月中旬。また観に来たいところだが・・・札幌⇔東京間はしょっちゅう往復するには遠い距離。果たして見られるのだろうか。

木曜日, 12月 21, 2006

明日から

明日22日から約2週間、札幌を離れる。
前半は約1週間東京で観劇生活。
後半は実家に帰省しつつ東北各地を周遊する。
移動手段は最初の飛行機を除けば全て各駅停車。これでオレも電車の旅プロの仲間入りだ。

問題は体力が持つのかどうか。
正直なところ不安でしょうがない。

まずは明日、観劇生活リターンズ第1作目はグリング「虹」

とりあえず・・・

mixiから日記の一部をブログに移行することにしました。
観劇記録や旅日記、その他諸々を書いていきます。